何が好きなのか。
当たり前ですが、趣味然り、交友関係然り、人それぞれの好みがあるわけです。
それは必ずしも友人同士だからと言って一致しているわけでもないし、血縁関係だからと言って一致しているわけでもありませんね。
じゃあ何が人の好みを決定付けるのでしょうか。
いつか話した気がしますが、それは友人、身内、またそれ以外の環境によって随時感化されて形成されているものだと思うのです。
誰かから、何らかのきっかけから出逢った事柄を、自分で「面白いな」と思えるようになれば、それはもう立派な趣味として成立するわけです。
しかし一度成立した趣味でさえ、外的要因によって趣味でなくなる場合もあります。
私は殊にそれが多いなぁ、と思います。
何でですかね。
飽きっぽい性格も祟っているんだと思いますが、きっと見つけた趣味に誇りを持てない、というのも一つあるのでしょう。
それから不器用で何をやっても上達しない、ってのもね(笑)
あまりこういう人間にはなりたくありませんでした。
別に万事上手くいくとかスポーツ万能成績優秀とか、そんな高望みをしているわけではないんです。
人並みに人並みの事ができれば、それでよかったんです。
でも私にはそれができません。だから何をやっても面白くない。長続きしない。
こんな人生、つまんないですね。
何か一つ、ただ一つ一生かけて打ち込めるものがあれば、また違ったんだと思います。
それが終ぞ見当たりませんでした。
いや。
見失ったのかも知れません。
最近の自分が今までと違い過ぎて。あまりにもおかしくて。いや、今までもおかしかったけど、そういうおかしさではなくて。
自分を見失って。
居場所までなくなって。
それでも人は己の道を歩いて行くしかほかはないんです。とらドラでも言っていましたよね。
これまでの自分も自分が作り出してきたもの。そしてこれからの自分も自分の手で切り開いていくもの。変わらない自分も、変わった自分も、変われたかも知れない自分も、変わってしまったかも知れない自分も、その全てを受け入れて、未来に進むしかないのです。
後悔してるのか?
そんなわけありません。
今ここで色々な人と軋轢が生まれ、全てが上手くいかないように思えるのは、何もかも予定調和なんだと思います。
私がこの道を選ぶには、今を乗り越えるしかない。
何が常識なのかも、何が当たり前なのかも、当然分かるはずもない。周囲が当たり前のように思っていることも、いずれは打ち破っていかなければならなくなるかも知れない。
そして、乗り越えた先に、幸せが待ち受けている保証もない。微塵も、ない。
辛い時期ですが、私としては大きな岐路に立たされているのかなと思っています。
一歩進む勇気が、試されているのだと思います。