束の間の放課後。

どうも、偏差値には目が眩むけど金には目が眩まないSTEPです。

どうなんでしょうね、これ。大学受験で勉強の虫になっていたからそう思うだけでしょうか。いやでも、私って昔から金銭を手放すのに何の躊躇いも感じない人間なんですよ。

と言いますのも、今日経済数学の講義があったんですが、以前その先生が「講義中に板書に間違いを見付けて指摘したら点数くれてやる」って言ったもんで、最初のうちはよしじゃあ指摘したろうじゃないかと思ってたんですが、まぁそんなところでせこせこと端点稼ぎしてもなぁとも思いまして。

テストとかの点数に関してはそう言う気持ちもないわけではないのですが、しかしこれが金の話になるとどうもピンと来んのです。

ウチの弟は凄まじく吝嗇のようで、どうあっても自分の財布を開けないのです。要するにケチ。

小6の分際で何がやりてーんだとか、それをまるで長所であるかのように褒め称える親も何考えてんだとか、思うところはあります。

でもそれって意味あんの?

金の性質に貯蓄手段というのがあります。金は貯めることも出来ますよってことです。んなもん当たり前っちゃ当たり前なんですが、私はこれが、貯蓄することが、かき集めて恍惚とすることが金の主な使い道だとは思いません。てか使い道ではありません。

私は、金の本当の使い道は自分の欲しい財やサービスと交換することだと思います。金の三つの利用手段とよく言いますが、結局金は「手段」なんです。

そりゃまあ、将来の身を案じて大人が貯蓄をするのは分かりますよ。でもそれはちゃんと近い未来の社会保障=サービスを求めることとも関わってくるわけです。

でも何の目的もなくただ漠然と金貯めてる人って何なの、って話です。世の中そういう人が多すぎる。だから私は金が嫌いなのです。

「嫌い」っていうと語弊があるかも知れません。交換手段として使う見込みのない人の手に渡った金が、ですかね。

だから私は欲しいものは買いますよ。金なんて最低限残っていれば良いものを、出し惜しみなんかしてるからトラブルになるし経済も回らなくなるのです。マクロ経済学で学びました。日本人は特に貯蓄性向が高いから景気がよくならないのだと。

きっと意味もなく貯蓄する人はモノポリーが弱いのでしょうね。財に変わったところで価値は価値です。その価値から更に価値を生み出すのがモノポリーというボードゲーム。土地を買って金がなくなったら抵当に入れれば良い。物の価値と金の価値を等しく考えられないのです。

ま、結論言うと、みんなお金使おうぜって、それだけなんですけどね。かく言う私も金がないと言っておきながら何事もなかったかのようにシャーペンを買い足すという。

これ、珍しいことなんですよ。地味にシャーペンを変えたのは中3以来です。今まではずっとクルトガばっかり使ってましたからね。え、変えた理由? 指が疲れたからに決まってるじゃないですかwww

 

ここからが本題です。こんなことばっかやってるからネタがなくなるんですけど。

今日明日は技能も学科も車学の予定がないので放課後をフリーダムに過ごせます。

そして本日水曜は、TCG同好会とアニソンサークルの定例会の日なんです。

ダブルブッキングも良いところです。今日はTCGの方に顔を出してきました。先日あにみゅでお世話になった方々には申し訳ないと思うばかりですm(__)m

今日はリコーダーも車学がお休みということで彼はいつものようにDMを(終電まで居座るらしい)、私はというとヴァイス・シュヴァルツを持って行ってやらせてもらいました。

実を言うとDMのやり過ぎで、というか単純に前回までのブランクが長すぎてルールを忘れてしまったので、最初は分からないところを教わりながら何とか思い出すよう努めました。努めながら感じたのですが、私今までも正しいルールでプレイしてなかったような。

何回かやって、1回勝てました。あのTCGは他と比べても運の要素がかなり強いので、スターターでも改造したデッキに勝てたりもするんですよ。それがまた醍醐味でもあるんでしょうけど。

とにかく、束の間の娯楽でしたが、楽しかったです。機会があったらまたやりたいと思います。

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