見えてる世界だけが全てとは限らない。
学生は多かれ少なかれ保護者の意向に従わなければなりません。
しかし大学生の場合はどうでしょうか。無論義務教育ではありません。2年になれば二十歳にもなります。学生の肩書を持ってはいれど、ほぼほぼ社会人に近しいものだと思うのです。稼ぎはない。社会的責任も\”少ない\”。しかし自分のことは全て自分で決める、というのが、異論もなく至極一般的な見解なのではないでしょうか。
この考えを深めていくと、きっと自宅生とそうでない人との間、もしくはその親の間で、詳細な部分で微妙な差異が生じてくるだろうと思います。特に、彼氏彼女の関係。
自宅生は状況がどうあれ彼氏が彼女を、ないしは彼女が彼氏を家に連れ込めばそれなりの血縁には関係がバレるわけです。ですが一人暮らしはそんなことがない。大部分の学生が親に出してもらっている、その一部屋で、男と女が何をしようと誰に露呈するわけでもない。まぁもちろんギシアンしてたらお隣さんにはバレるでしょうが……(笑)
とにかくですね、自宅生を選んだ以上は、彼らはこういうことを承知しなければならないのです。どこをどう考えても人間関係を完全極秘裏には貫いていけない。
しかしながら、ここにはもう一つ、大きな差異があるのです。
恋愛関係に対する、一般的な認識です。
すなわち、「常識」。
いつの時代でもいかなる話題でも、常識ってのは文字通り常に付きまとう問題なのです。
一個人の常識は基本的に最も近しい大人、すなわち必然的には親から教わるものになります。
ですが当然、そこにもまたよりマクロレベルな意味合いの「常識」と幾分逸脱している部分もあります。
その「常識」を、知らないなら知らないで一定範囲での常識に従って誰と言い争うわけでもなく平和に生活していけると思います。しかし大学生も社会の一員です。どうしたって他人と関わる場面も出てきます。バイトをしていればもう言うまでもありませんね。
自分が受け継いだ小さな常識に何か疑念を持ち始めた時、疑念が確信に変わるのは、得てしてそうした他人からマクロでの「常識」を以って語られたその瞬間なのです。
認めたくない大人でも、大人を納得させるには大学生だけの内輪の常識だけでは足りない。だからその内輪の常識が他の大人によって一回的に開示された「常識」と一致してはじめて、私達は強く社会に立ち向かえるんだと思います。
何だか曖昧模糊過ぎてよく分からない内容になってしまいましたが、とりあえず周りのちっぽけな常識に騙されず自分の価値観だけを貫き通してより広い「常識」に迎合していきたいな、というのが今回の結論ということで筆を置かせて頂きたく候。