昔描いたキャリアパス

高校入学からおよそ10年間、せめて一ヶ月に一度は何か発信しようと継続してきたブログですが、とうとう2019年2月をもってそれが途絶えてしまいました……

その罪滅ぼし的な意味合いは無きにしもあらずですが、今日たまたま弟の大学受験と将来的な話を親とLINEでしたので、ついでと言っては何ですが私が中学1年の冬くらいに思い描いていた自分の将来的なものを連々と書いていこうと思います。

実際に筆者が進んだ道とは全く関係がありません。

新潟南高校

過去に何度か触れたことがあるかと思いますが私の出身地は新潟です。今でこそ大阪と東京を行ったり来たりの生活を送っていますが、ぶっちゃけ大学を出るまで他県の生活すらしたことがありませんでした。

そんな私が中1時点で進みたいと思った高校も当然県内で、新潟南といえば県内トップクラスの成績を誇る名門校でした。いや、「でした」って言い方はおかしいですね。名門校です。

行きたかった理由はこれといってありませんが、強いて言えば県内トップの高校には受かる気がしなかったのと、市内にある学校だったのでちょっと都会っぽかったというのがあります。理数科もありますが普通科を目指した体でいました。

それでも2年の途中までは結構頑張っていた方だと思います。ですが3年の春先辺りに行った学校説明会で気が変わりました。新潟南は目指さず、それより遥かに辺鄙な未開の地にある見た目刑務所の高校を目指すことに決めました。そこから志望校が揺らいだことはなかったですね。ちなみにトップ画がその辺鄙な未開の地にある見た目刑務所の高校です。

新潟大学 法学部

片親家庭で高校入学当初から県外と私立を選択肢から外された私に残されていた道は二つしかありませんでした。県内国立か、県内公立です。

3年間の高校生活で自宅と学校の距離が離れていることがいかに罪なことであるかを悟った私はまず真っ先により近い新大に行くことを決意しました。新大が電車で15分、もう片方の公立大が乗り換え跨いで1時間半です。

というのはまぁ高校入ってからの結果論的な考えになりますが、中学の時はどうだったでしょう。少なくとも法学部に行きたかったのは「潰しが効きそうだから」とかそんな単純な理由だったと思います。

学部に関しては結構ギリギリまで悩みました。だって正直どこでも良かったからです。プログラミングがやりたかったとして理数科目がまるでできない以上理工学部はまずあり得ません。だったら一般教養で何でも学べるし学部なんて関係ないじゃん、ってなったのです。

NEC

小さい頃から割とコンピュータが好きで、父親の休日出勤に付き合ってはパソコン(Win 3.0とかそんな時代か?)を弄らせてもらっていましたが、そんな折々に身近にあったのがNEC製のノートPCだったからでしょうか。何かITっぽいことやりたいなぁと殺伐とした考えはありました。

そんな思いも無意識にあったのかなかったのか、就活もメーカー系を中心に進めた結果がまさか当たらずとも遠からずになるとはゆめゆめ思ってもいませんでした。

一応、教育関係に携わりたいというのも3割5分くらいあったので面接の主なネタとしては「教育現場の課題をITで解決したい」でした。そんなありきたりな意思表明も実物を見せると説得力が増すというもので、タブレットにホームページ一式をローカルに落として「通信教材に取り上げられました」とかデモればそれなりに真剣に話を聞いてくれていたのは印象的でした。いやまぁ、事実だし。

まとめ

昨今のキュレーションよろしく「いかがでしたか?」で締めれば恰好もつくというものですがそもそも100%自己主張しかないわけで御アクセスいただいている皆様の何の課題解決にもなっていないわけなので御託はさておきにまとめると、大なり小なり脱線はあるものの、これまでの私はそこそこ舗装されたレールの上を進んできたわけです。

しかし最近考えるようになりました。本当にこのままで良いんだろうか、と。このままで生涯を終えたとき、「充実した人生だったな」と満足して息を引き取れるのだろうか、と。過去の自分じゃなくて今の自分でイチから新しい線路を作って行き当たりばったりでその進路を決める方が楽しめるんじゃないかなと思えてきました。

人間、歳を取るほど保守的になると言います。ここ2ヶ月で2度も過去を反芻している時点で私もその兆候が見えているのでしょう。エンジニアであることは変えようもありませんし変えるつもりもありませんが、せめて命尽きるその時までラディカルであり続けたいと思っています。

…………いかがでしたか?(笑)

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