Io sono di Niigata.
今日の日記は遅くなるという心づもりでしたが、思ったよりも遅くならなくて良かったデス。
イタリア語の授業の話です。最近ようやく主語+be動詞の使い方にも慣れてきたかなという感じで、結構楽しい授業です。Io sono, tu sei, lui/lei e, noi siamo, voi siete, loro sonoですね。英語に直すと順にI am, you are, he/she is, we are, you are, they areになります。まだまだ簡単でしょ? 挙げ句にローマ字読みなんで初見の単語でも割とラクにスペル覚えられたりするんですよ。例えば「タボロ」って言われたらtavolo(机)だし、「セディエ」って言われたらsedie(いす)とか、こんな感じなんです。ちなみにtavoloが男性でsedieが女性なんです。不思議ですねイタリア語って。
あぁ、でまぁそれで、そのイタリア語のマリオ先生という方がけっこうな機械オンチらしくて、プロジェクターの音声が入らないとかで先日20分くらい右往左往してたのですが、それが今日やっと問題解決出来たみたいで、イタリアの観光名所を巡る紹介ビデオなんかを見せられました。
その映像の中でBGMがありながら男性のナレーションでそれぞれスポットや独特な文化についての説明が入ってたんです。
ところがですね、そのナレーション――多分イタリア人の方の読み上げなんでしょうね、イントネーションに若干引っかかりがあったんですよ。
そのDVD自体は日本向けではなく、イタリアを含め様々な国の言語で見ることが出来たようなので恐らく現地の担当者が翻訳したのをそのまま現地の人が読み上げたのでしょう。訳後の日本語のチョイスから何となくそう分かりましたし、もちろん説明はちゃんと理解出来たのですが、何かそういう感じではありました。
日本人に担当させれば良いのに、とも思いましたが、それは、まぁ、別に誰も気にすることでもありませんでしたから。
そんなナレーションを聞いてるときにふと思いました。もちろんバックで音楽が流れてるわけですが、それもイタリアの民謡のようで不思議なものでした。でも、そのBGMの方はナレーションのような違和感なんてものは全くないんですね。こう、耳に馴染むと言いますか。
当たり前ではあるんでしょうけど、同じ他国他文化でも言語と音楽ではここまで違うのかと思いましたね。その音楽に歌詞でもあればまた違ったのでしょうが、こういうことを感じると、いかに人間にとって他国の言語を修得するのが難しいか思い知らされたような気がします。言語は難しい。時として全く伝わらないことさえ、ある。でも音楽は違う。いつ、どこで、誰が聴いても、音楽は音楽。作家の杉井光さんも自身の作中で書いておられました。「言葉をほんとうに魂の底にまで至らせる方法は、たった二つしかない。血を流すか、歌を流すか、だ。」と。音楽の力を素朴に知った1日でもありました。
もののついでにもう一つ。
これも随分トートツな感じですが、私は芸能界が退廃するメカニズムを発見しました。
現状、無論番組の劣化も否めません。子供のテレビ離れの原因にインターネットの普及だとか地デジ化だとか抜かすマス「ゴミ」もあるにはありますが、まぁこの見事に棚上げされた事実を見逃す視聴者はいないでしょうね。
しかし、私は他の面からアプローチしてみたいと思います。
それは、「一発屋」の存在とその扱われ方です。
何も芸人に限ったこととは言いませんが、一度何らかの「一発系」が誕生したとしましょう。「一発」をかますためにいるのですから、もちろんその人は一定期間でブレイクします。しかし、流行はいつか必ず終焉を迎えます。その人もいつしか売れなくなることでしょう。そうなるとまたしばらくして新しい一発屋か何かの、「流行の中心的存在」が姿を表します。概してそのスパンは長くて2~3年でしょう。その頃合いになって、諸番組のプロデューサーは何を考えるか。気休め程度にかつての一発屋を「○○、あの人はいま」「旬じゃない芸人」などと持ち上げます。ペケポンでもありますそういうコーナー。また先日のニュースでは「なすび」も顔を現わしていました。覚えてますかね、かつて懸賞生活を送っていた人です。
そうやって久し振りに登場した芸能人を見て視聴者はどう思うか。ただ笑うのもアリかも知れませんが、少なくとも「芸能界では一発屋はこんなことになるのか」と思ったりはするはずです。そうなると子供たちの中には芸能界を目指すことがバカバカしい、夢のまた夢のような話だと感じ、そう言った世界を目指さなくなる人もいるでしょう。
芸能界も、誰もが入れるわけではありません。辛辣なオーデションを勝ち抜いた、選ばれた人達が毎年仲間入りを果たしているのです。ところが前述のサイクルが発動したら最後、その倍率は段々と下がり、志、あるいはクオリティの低い芸能人が生まれてくるやも、知れません。これがまた永遠のサイクルを続けたり……