結婚の経済学。

前期に受けてた授業で、「なぜ人間は結婚をして家庭を築くのか」ということについて経済学的観点から分析するという内容がありました。

簡単に説明するとこの世の財は等価交換できる市場財と、交換できない家庭内生産財の二つに分けられるといいます。そして一般的に、ごく一般論としてですよ、男性の方が女性より市場財の生産に長けており、女性の方が男性より家庭内生産財の生産に長けているということです。

つまり、男性はそこそこ家事をして労働に勤しみ、足りない家庭財を女性から受け取ることでパレート改善し、逆に女性はそこそこ労働をして家事に従事し、足りない市場財を男性から受け取ることでこれまたパレート改善するわけです(こまけぇ式の導出は省きます。多分入門レベルの認識では時間制約線と等量曲線を使うことになります)。

しかし、見知らぬ女性がそう簡単に家庭内生産財をわけてくれるとは限りません。例えば愛人でもない知らない女性に今日は忙しいからと夕飯の支度をおいそれとお願いできるような世の中では終末もいいところです。

だから、結婚という選択肢が出てくるのです。

結婚をすることで男女互いにより高い効用の達成が見込めます。長期スパンで考えれば非常に経済的なことです。

近年の婚姻率の低下はそこにあるといいます。つまり、家庭財がもはや市場で得られないものではないと。例えば子供の面倒がみられなければベビーシッターがいるし、愛妻弁当がなくてもコンビニ弁当はあるし、掃除ができなければ、まぁ財力の問題ですがメイドを雇えばいいでしょう。ついでに性欲も満たしてくれるかも知れません。ごめんなさい冗談です。

ですが、本当に結婚ってそれだけなんでしょうか。

単に経済的な利害の一致だけで、その大多数が成立しているものなんでしょうか。私にはそうは思えません。

確かに結婚を考えるにあたって(私が言うのも億劫ではありますが)将来の家計の行く末を考えるのは非常に重要なことだと思います。交際とは違います。社会的な一種の契約で成り立つものですから。

無機質な物質的幸福は確かに大事かも知れない。それに対する効用の限界代替率は人それぞれかも知れない。でも少なくとも、それだけのために誰かと結ばれるのではないはずです。

自分のこれからの幸せはどこにあるのか、誰と共にあるのか、誰のためにあるのか、そういうことを、もし私が直面することになったとしたら、じっくりと考えていきたいと思います。

最近こういうことを書き過ぎると「またお前は調子に乗ったことを」と遠方から愚痴が聞こえてきます。ですが、今回の話は割りと真面目に、講義を聞いていて「それはつまらない世の中だろうな」と感じました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日記

前の記事

テスト前。
日記

次の記事

理不尽な現金主義。