目的意識の維持

皆々様、お久し振りでございます、みなとです。

就職のため東京に引っ越してきて早や1ヶ月半が経ちました。バタバタとしているうちにこのHPの更新もほぼほぼ滞ってしまい、ご覧の皆様には申し訳ない思いでいっぱいです。

Twitterなどで親しい方々はもうご存知のことかと思いますが、この度十余年を共に過ごしてきた地元と別れ、東京と称したおよそ千葉のIT企業の戦士として一生を捧ぐことと相成りました。新潟を離れる名残惜しい気持ちは、結果論的にはなきにしもあらずですが、それでも自分で望んだことなので後悔はありません。

とりあえずそんな感じで、初の一人暮らしということでなかなか上手くいかないことや不安なこと、多々ありましたが、これまで生きていけているということは恐らく生物学的に致命的な問題は私にはなかったのだと思っています。単身でアミノ酸とか亜鉛とかそういうところの栄養バランスが完璧にできているかと聞かれると、多分どこかで崩れは発生しているんでしょうけどね。まぁ1日1食カップラーメンの人もいるしね、多少はね。

あまり長々と前座を綴っていても仕方がないのですが、こっちにきて良かったこと、悪かったことを話したいと思います。

まず良かったこと。都会で欲しいものが何でも揃います。ん? 今何でもって? そう何でも。なくてもAmazonでポチれば一晩で届くし。

それから何と言っても遊ぶ場、飲みの場が多い。都区内や船橋、津田沼に行けば居酒屋も多いし雀荘、パチンコ、競馬、風俗とネタには事欠かない。褒められるような遊びだとは正直自分でも思っていませんが、社会人ってのは恐らくこのいずれかにはハマる宿命なんだと思います。

あと思ったより平和だったってのは感じます。住む場所にもよるとは思いますが、少なくとも私が今住んでいる所なんかは割と住宅街ってことで便が悪くDQNが少ない印象ですね。

悪かったこと。人が多い。これに尽きます。朝夕の通勤ラッシュは本当に辛いです。それだけが分かっていたけど大きな誤算。京葉線でそれは甘えだろってよく言われるんですけど、車社会上等のクソ田舎から上京してきた身として当たり前のように電車で座れないというのは未だに慣れませんね。ポンで飛ばされるこのウザさにはもう慣れましたけど。

電車という絡みでもう一つだけデメリットがありました。都会に出れば店が多いというだけで、ベッドタウンから都心へ出なければならない一苦労が大きな一苦労です。これまで住んでたのが田舎の中でもそこそこよくできた田舎だったのでワンチャン自転車だけでもコンビニ、スーパー、ホームセンター、百均、薬局、果てはTSUTAYAまで一通り回れましたが、これを超える田舎となるともう目も当てられなくて、電車で10分は揺られないとどうにもならない状況です。

というか本来はそれが普通なのかもしれないけど、ただ私の実家がかなり便利な方だったってことですよね。けど今年の1月に潰れていたあのTSUTAYAだけはマジで許せない。それだけで114514ポイントくらいはQOL下がりましたよ。


さてさて、閑話休題。

私がSIerという業界を選んだのには大きな目的がありました。面接のネタなんて誰しも持ってるものだろうし必ずしも本当にやりたいことではない場合も多いかと思いますが私にとってそれは重要な目的意識でした。

それが教育現場の抜本的な改革です。

現在、小中高、大学共に教育現場は大きな岐路に立たされています。

  • 地方の慢性的な教師不足
  • 環境問題
  • 学力格差
  • 学習分野の多様化

中でも近年、学習分野の多様化というのは顕著で、小学校から英語、中学からプログラミングの授業が必修化されたり、あるいは高校入試に際しても特色化選抜が設けられ、制度的に全体を広く浅く学ぶよりそれぞれに合わせた専門的な知識、スキルが早い段階から求められているように思います。

加えて、実際私の地元なんかでは普通科の高校より農学、工学、商学といった専門分野が深く学べる公立高校が人気を増してきています、これには色々と理由があるかと思いますが、やはり未来が約束されない時代になって、手広く将来を考えられるよりレンジを狭めてでも確実に手に入れられるキャリアパスに需要が移ったということになるのでしょうかね。

こうした現状で、今後起こりうることが幾つか挙げられます。

  • 学習方法の多様化
  • 個々のライフスタイルを考慮した学生生活
  • 文系大学の衰退
  • 学校へのスマホ・タブレットの持ち込み
  • 専門性の強化
  • 高校・大学入試の形式変更

専門性の強化については述べた通り実感としてはもう起こっていることになります。それから選抜方法の形式についても、大学入試センターが色々と試行錯誤しているという話は聞きますから、近いうち、倫・政一本化以上の根本的な何かが変わるのかな、と。

変革が本当のものとなるためにいつの時代も技術革新が必要とされました。今回の件についても、授業形態から大きく変わるというのであれば、それは現場に何かしらの革新的な技術が取り入れられる時です。

それは例えば黒板とチョークに変わるもの。紙とペンに変わるもの。もしかしたらそれは、「担任の先生」に取って代わる何かかもしれません。

もちろん教育改革にあたっての課題やPTAからの文句もあるだろうと思います。例えばタブレット学習を謳えばデジタルデバイドだとかシステムの不具合がどうだとか。ただ少なくとも私自身は、今の教育のあり方はあまりにも非効率で不公平な部分が多く、現代に沿っていないものだと思っています。

中等教育以上の世界は変わります。

一人ひとりのキャリアパスに合わせた学習方法が加わることでしょう。

教師陣だけではもはやクラス全員をサポートすることは難しくなってきます。

そうなると、大多数の大学のように「単位を取る」ことだけが目的化してしまいかねないのです。

そうした、望まれない教育改革を阻止するためにITが必要とされるのであれば、私はこれから技術者として最高の結末の最後の最後まで追い求めていかなければならないのかな、とは思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です