平成の総括と今年の抱負的な何か
大分遅くなりましたが皆様新年明けましておめでとうございます。今年もminato projectをどうぞよろしくお願いします。
いっちょまえにWordPress使ってますし一応ブログということでやってますし、たまには日記らしい投稿もしようかなと思いまして、現在1/6の午前1時ですが、連々と書いていこうと思います。
平成という時代を振り返って
私は今年で26になります。つまり平成5年生まれです。なので振り返るも何も平成以外の時代を生きていないわけです。
それでも両親は(当然)昭和生まれですし会社に行けば先輩上司もそういう人が多いですので昭和がいかに激動の時代であったかは聞き及んでいます。
そういうところの話を聞くとやっぱり平成は「失われた20年」が時代そのものを表す言葉なのかなと思います。東南アジアの急成長とかリーマン・ショックとか外部環境が良くなかったと言えないこともないですが、国内企業の不祥事だったり政治的な立ち回りが悪かったり、振り返れば自滅と言われても仕方のない状況だったことは否定できないでしょう。
IT企業に限った話で言えば、国内の大企業の多くは内部留保や既得権益の喪失を恐れチャレンジすることを頑なに拒んできました。技術力という面ではもはやGAFAに追いつくことは望みようもありません。某作家の言葉を借りれば、90年代にAmazonやGoogleが出てきたとき、この国の反応は冷ややかでした。成功しない理由を山ほど並べ立て、万年赤字企業と揶揄し、もっと地に足のついたビジネスをと主張していました。結果どうなったかはご存知の通りです。
たぶん、日本独特の「同調性」みたいなものが、平成になって悪い方向に顕在化したんだと思います。「協調性」はお互いを助け合うことで成立するものですが、それを押し付けると「同調性」になります。
生きづらい世の中だな、と思いました。人と違うことができない。ダイバーシティがどうだこうだとこれほど持て囃されているのに、少しでも足並みの揃わない存在は断固として認めない。出る杭は打つ。
最近「イノベーション」とかいう言葉が巷でも見られるようになりました。それを冠する社名もあるくらいです。けど人と同じことを強制される環境で本当のイノベーションなんて起こると思いますか? イノベーションって社会変革でしょ。そんなの、新しいことをやらないと起こるはずないじゃん。
同じようなことが日本社会全体にもいえると思うのです。発言と行動が一致してないというか、要は何かがねじれているのです。例えで言えば職場環境を何一つ変えていないのに「働き方改革!」だとか「残業○○時間以内!」だとか謳ってるようなものです。本当にやる気あるの、それ。
まぁやいのやいの言っても「それが日本だ」とか言われればそれまでなのでどうしようもないのですが、だったら中途半端に「これからはグローバリゼーションの時代だ!」とか言わない方がいいです。とことんガラパゴス化してた方がよっぽど国のためになりますよ、きっと。
でも貿易もあるのに国連もあるのにそんなの無理ですよね、という話。これからの日本は日本に対して「同調」するんじゃなくて世界に対して「同調」しないといけないのです。そしてそれはきっと今までの「同調」と相反するものだと思います。
元号が変われば時代の流れも幾分変わるでしょう。これからの日本には本当の意味での「協調性」を取り入れていって欲しいものです。
平成ネット史(管理人の場合)
先日NHK教育で「平成ネット史(仮)」という番組をやっていました。なぜ「(仮)」なのかはよく分かりませんでしたが個人的には結構面白く見れました。触発されたので私個人のネット史も書いてみたいと思います。
前述の通り私は平成生まれなので黎明期のインターネットというものを知りません。Web 1.0の遺物がギリギリ残っていたかな、くらいの時代です。既にYouTube(Googleに買収される前でしたが)もありましたし、mixiやGREEといったSNSの全盛期でもありました。
2003年 パソコンに触れる
はじめてパソコンに触ったのはこの辺りだと思います。小学校3~4年くらい。クラブ活動でコンピュータ部に入って何か弄ってた記憶があります。この頃はまだWordで資料作るためにネットで調べ物、という程度でした。
2007年 YouTubeの存在を知る
父親の形見のノートパソコンを持て余していた同時期に同級生が中学校のパソコン室でガンダムか何かを見ていたのがきっかけでYouTubeの存在を知りました。
特にこれといって興味はなかったのですが、後に友人からアニメの世界に落とし込められて家でも見るようになりました。そう、私の人生はここで狂い始めたのです(笑)
2009年 GREEに登録する
高校に入学し携帯を持ち始めて間もなくSNSにハマりました。SNSといってもゲーム(当時クリノッペとかいうのが人気だった)に傾倒することはなく、日記を書いたりコミュニティに参加することが専らでした。
とっくの昔に退会済みでかつての日記も残っていないはずだし残っていて欲しくもないのですが、まぁ日常茶飯事みたいなことを書き連ねていたような気がします。正直この頃の私は黒歴史です。
ちなみにGREEでの日記活動?ですが、一度だけ高校生向け通信教材の雑誌に掲載されたことがあります。「私の学生時代を支えたもの~ブログ編~」みたいな題材で。
2011年 Twitterに登録する
受験勉強も真っ只中にTwitterに手を出します。きっかけは友人がやっていたから。当時iPhoneなんて高価なものは買えず、ガラケーでやっていたのを覚えています。jigtwiというアプリを使っていました。いまもAndroid版は残ってるのかな。
2012年 ホームページ開設
大学入学と同時に念願だったホームページを開設しました。
当初「Project STEP」という名前でFC2ホームページのレンタルサーバ上に立てていました。
最初は高校での勉強法を発信するのがメインでしたが、段々大学関連のあれこれや自作ツールの紹介などが多くなり、かなり雑多なページになってしまいました。
そこからコンテンツを取捨選択したりサーバを移設したりドメインを取得したりして今に至ります。ちなみに今までに9回くらい更改を繰り返していて、一番最初のバージョン以外は今なおzipでバックアップしてあります。多分もう解凍することはないでしょう。
2019年 そして現在に至る
直前の話題から7年も飛んでますが、私とインターネットの基本的な関わりというのはその辺からあまり変わっていません。コンテンツのユーザとしては順当に流行に流されてのらりくらりという感じはありますが、情報の発信者としては「今まで培ってきたノウハウの共有」で一貫しているつもりです。
時代が変わっても色褪せない発信者であるために、これからも日々邁進していこうと思います。
今年の抱負
長くなってしまいましたが、最後に今年の抱負をば。
- プロジェクトを炎上させない
- クラウドで何かやる
- Ruby on Railsを習得する
- 体重を50kg台に戻す
重ねがさねになりますが、今年もどうぞよろしくお願いします。