一ヶ月の中国生活を経て。

お久し振りです。大阪に戻ってきたみなとです。近頃とみに更新が滞ってしまい、申し訳なさの限りです。
この1ヶ月私が何をしていたのかと言うと、前回の予告通り仕事の都合で中国は山東省に行っておりました。私としては初の海外ということも手伝い、不安と恐怖と戦慄で悪い意味でしか心震えないばかりでしたが、それでも紆余曲折あったものの何とか無事帰って来ることができました。ツイには多少書きましたがあまり人生で中国に行く機会もそうそうないかと思いますし、ここでもう少し詳述していきたいと思います。

初日―北京

言わずと知れた中国の首都、Beijingです。……首都だよね?

1泊した一行は紫禁城(故宮)に向かうことになります。これがよく日本でテレビに出てくる「ザ・中国」のアレです。正門の真ん中には毛沢東の写真が掲げられているのが分かります。故宮の隣にもう一つ建物があり、そちらが凄く並んでいたので細かく見ていなかったのですが、話によればその館内には毛沢東の亡骸か何かがあるとか……。

中はこんな感じです。色々な場所で写真を撮ったんですが、1日で全部回りきれないほど広い上、どこも似たような景観と人混みだったので、どこがどこだかは正直あまりよく覚えていません(笑)
そんなこんなで短い北京観光は終了です。次。

1週間後―泰山

今回、メインで過ごすのが山東省だったという計らいから最初の土曜日に泰山を登りました。

登った、というのは建前で、実際は7合目くらいまでロープウェーに乗っていました。それはそうです。標高1,545mの中途舗装されていない道をまともに歩けば片道だけでゆうに日が暮れます。現地の人にもそう言われました。
途中まではそれこそ景色もひとしきりでしたが、頂上付近まで行くと残念ながらほとんど霧で見えませんでした。

写真は少し霧が晴れた隙を見計らって撮ったゴミのような人です。あ、だから人ゴミっていうんですかね。どうして中国はこうどこに行っても人の山なのでしょう。それはこの1ヶ月、本当に苦労したことの一つです。こういう観光名所はごった返し、逆に日本で現地人が週末出かける、の定番そうなショッピングモールなんかは閑古鳥状態です。不思議です。

その他の週末―ショッピング・博物館

ということで用事のない土日は大体ホテルでゴロゴロするか麻雀を打つか仲の良い人達と出かけるか、していました。
泊まり込みのホテル付近にも、日本で言うららぽーとみたいな場所が2箇所あったのですが、やはりあまり「出かける」という感じもしなかったのでタクシーを呼んで40分くらいでしょうか、走ってもらったところにもっと大きい市街地があったので、そちらにも足を運びました。

あと博物館にも行きました。携帯が繋がらず、途中2人がはぐれて30分合流できなかった時は本当にどうしようかと思いました(笑)

何故かよく分からないのに撮った馬車です。世界的な博物館でしたが英訳が付随しているのは各時代ブースごとイントロダクション的な説明だけで、あとは全部中国語でしたから、雰囲気を楽しむに終始していたんじゃないかと。
ウン千年の歴史とよく言われるように中国はやはり歴史が深いんです。それだけに博物館に展示されている物もおぞましいほどの点数に及んでおり、これもとてもではありませんがじっくり眺めて1日で回りきれるものでは到底ありませんでした。
個人的に残念だったのが、これだけの規模がありながら何故か三国志絡みのブースがなかったことですね。それに関しては同期達も残念がっていました。

最終日―大連

所用があって大連空港からの帰国でしたので帰りは大連で1泊しました。

ホテル前で最後の打ち上げです。山東の時はずっとこ1本2元(=約30円)の青岛啤酒だったんですが大連ではこの大连干啤が出されました。大連のビールはキレが良くて味がさっぱりめですね。何となくの感想ですが……(笑)
肝心の街並みはと言いますと――到着してすぐ打ち上げでホテルに帰ったのが夜遅く、そこから酔った頭で近くを散歩しながらコンビニやスーパーにふらふらと立ち寄った記憶はあるんですが、写真を撮っておりませんでした。
セブンはありません。山東と比べて綺麗な町だとは……お世辞には言えませんが、そこは日本と同じ。都会ということからか遅くまで屋台が立ち並んでおり賑わっていました。途中で地下鉄に繋がっていると思しき階段も見つけました。
大連に行った知人は1週間ほど水が止まるというハプニングがあったようですが、そこまで生活水準の低い町だとは思いませんでしたね。もちろん、一口に大連と言っても地域によってその辺の事情はかなり異なってくるのかも知れません。

まとめ

そんなこんなで人生初の海外かつ人生初の中国でした。しかも旅行ではなくガチの1ヶ月生活。
初日に北京の料亭に連れて行かれて絶望的な川魚の味を目の当たりにした時は「味噌汁しか持ってきてねぇよ……どうやって生きていこう……」と何ほど恐れおののいたことかと今考えればですが、終わってみれば食事もさほど悪いものではないし、山東に限った話で言えば治安もそこそこなんだと思います。
日本だって田舎に行けば行くほど静かだし、物騒な事件もそう起こらない。都市部に行けば確かに楽しいし便利だけど、それだけゴミゴミしているし、治安も悪い。中国でもそれは概ね同じだったということです。東京、大阪、中国と過ごしてみて、何となくですが地元にもそれなりに良い所があったんだなと思えてきました。中国に限った話で言えば首都圏でも車社会でしたけどね……(笑)
個人的にこの出張(?)を通して得られたことと言えば、仕事上のスキル(当面使わないであろうEclipse)は多いですがそれに加えて人間的にもそれなりに変わったんじゃないかなと感じます。
どうやったって生きていかなきゃいけない時にはどうにかなるということ、言葉なんて伝わらなくても身振り手振りでそれなりにコミュニケーションできるということ。見知らぬ土地、「読む・書く・話す・聞く」そのどれもがロクにできないというストレスとプレッシャーに耐えること。
その全てが、自分にとっての大きな成長に繋がるのではないかなと思います。最後のストレスに関しては、中国だっただけまだ良かったのでしょう。多かれ少なかれ日本人の使う漢字が分かれば、何となく書いてあることの意味くらいなら理解できましたから。きっとサウジアラビア辺りに飛ばされていたらコミュニケーション上のストレスはこんなものではなかったでしょう。
どんな感じかなと思いましたが、一通り終わってみると個人的には海外に対する好奇心が増大する結果になりました。趣味・仕事関係なく、もっと色んな国に行きたい。行って思い出も後悔も、その全てを吸収したい思いが強いです。
もしチャンスがあれば、今度は東南アジアかヨーロッパにでも行ってみようかな、と心の中でそっと考えています。
せっかくパスポートも10年あるしね。

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